有地川
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有地川地図
 
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掘町川
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市原川
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向永谷川
有地川
向永谷川
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有地川
04-01
柞磨下谷
柞磨下谷
 どうして此処に常夜燈があるのかという疑問を持つまで 何回も通ったこの道端に そもそも常夜燈が立っていることさえ気が付かなかった それほど景色になじんだ存在だ 有地川で一番奥にある夜燈さん
 柞磨(たるま)というこの地名は珍しい 緑が丘などという新興団地には決して付かない地名 それほど舊い土地柄だ
 灯袋はともかく 笠や中台は地元の山の花崗岩三好石材の会長さんに聞くと「普段そういう石が見つかったら大事に取っとく」と 中台の自然石は破れそうに薄い
04-02
上有地中村
上有地中村
 下谷の常夜燈とそれほど離れていない 同工異曲の自然石で作ってあるので ほぼ同じ頃に建て作られたかと思いきや これは五十年も後にできたもの孫が作ったようなものだ
 有地川を取り巻く山やまは全部 風化花崗岩の真砂土で成り立っているので 土砂が埋まる川の氾濫はひどいもの
 竿の「金」は金毘羅さんの正規の文字が使ってある 子供のころ すっぽんぽんで腹を冷やさないように 金太郎の腹帯ひとつで遊んでいたのを 想い起こさせてくれる風情がある
04-03
上有地天神
上有地天神
 高雨龍(雨かんむりに龍)たかおかみは 天水別神(あめのみくまりのかみ) 国水別神(くにのみくまりのかみ)と共に水の神様雨冠に龍の字は凄みがある
 天神は高い台地である 水が大切なことは ほかの土地の比ではない
 燈明寄進の河村万右工門の「河村」は判読が難しいが 古老に尋ねると「河村はこの土地の大地主じゃった いまはご子孫は東京の方へ出とってじゃりゃんす」
 常夜燈そばの屋敷跡に立つと有地福田平野の眺望は素晴らしい昔の分限者の権勢が窺える
 常夜燈前から道は六方に延びていて むかしは往来がはげしかったようだ
04-04
上有地掘町
上有地掘町
 のどかな景色を創り出すのに 当時の人はどれだけ腐心したか  家のたたずまいでさえ気を配らねば景色に合わぬこの谷間
 この数年 通勤で通いなれたこの道で「社長が言うまで気が付かなかった」と神田さんはおどろく
 溝に架けた土台石は一つ石で大きい
04-05
下有地東之面
下有地東之面
 毘の字は偏が「田」旁りが「比」となっている江戸時代の作であることは金毘羅大權現の配字で分かる  並んでいるのは地神と大山社の石碑
 地神との併設はよくある例 だれかが土地を寄進する 常夜燈の建立許可を申請する  許可が下りたらその土地のは年貢が免除される すなわち官地になる
 だれのものでも無い土地には 地神や殖安神やお地蔵さんが寄ってくる
04-06
福田市原
福田市原
 棚田の水は田から直接田へ流れる 「上の田で肥料をやったものは損じゃなかろうか」 「上の田も下の田も全部自分の田じゃ」
 棚田や山畑では旱魃の嘆きははげしい 雨の降らない夏など近隣の村々が申し合わせて一斉に  山の上で雨乞いの火を燃やす そうすると上昇気流が雲を誘う
 桑の舊い字は木の上に十を三つ書く
04-07
向永谷本谷
向永谷本谷
 向かい永谷は松永へ通じる主要幹線 昔の山道が五十米ほど上の山の中腹にそれと分かる程度に残る
 谷の傾斜地道路沿い 辻堂と併設され付近に家が建ってないのでまことによく見える  他のどこの常夜燈も建つときは この様に見晴らしのよいところだが  隣は自分の土地だからといって 常夜燈が隠れるような家の建ち方はよくない  公共の景色はこのように守りたいものだ
04-08
向永谷吹上
向永谷吹上
 芦田川の伏流水が吹上げたので この地名となったとは早とちりであろうか  それとも谷を渡る風が吹き上げたか
 ペリー浦賀に来航 世情騒然の嘉永五年建立辻堂は 建立百四十年を記念して平成五年に修復された
 かくして常夜燈周りは凜とした格式が感じられる一角となった  歴史を利用して地域興しを図る村人の心意気に賛同する
 新調の詩碑が加えられている 菅茶山撰とあり
 「宇佐を世の 嵯峨とは武倍のやまあらしふきおろしてう 吹上げの里」
04-09
掛平山城址
掛平山城址
 元は大正橋南角 日下店角の福田の中心地橋本にあったもの  昭和四十年頃 県道拡張工事により掛平山に移築した
 山が手入れされていれば 芦田川を含む新市平野を睥睨する絶好の位置に立っている  今は雑木の生い茂る原生林の真っ只中 佐藤幸男さんが案内して下さらなかったら  こんなところにある常夜燈など見つけ様がない
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