府中
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03-01
上山本谷
芦田川
03-02
上山後谷
芦田川
03-03
下上山
芦田川
03-04
剣先
芦田川
03-05
甘南備神杜
出口川
芦田川
03-06
出口金毘羅橋
出口川
芦田川
03-07
羽中
出口川
芦田川
03-08
本山庄之池
才田川
芦田川
03-09
東町
芦田川
03-10
密語橋
音無川
芦田川
03-11
稲荷木神杜
砂川
芦田川
03-12
土生町瀬戸
芦田川
03-13
栗柄中柴
栗柄川
芦田川
03-14
栗柄四日市
栗柄川
芦田川
03-15
広谷稲月神杜
芦田川
03-16
中須井上荒神
芦田川
03-01
上山本谷の迫に立派な辻堂がある 迫の堂(さこんどう)と呼ぶ大きな丸の中に金の字は楽しい
全部川石で作ってある おそらく府中の川から 当時使われ始めた木の車を使って馬力でここまで牽き上げたものであろう
大きな川石を組み上げて 府中を脾睨する立派な常夜燈を作った本谷の人々の 鼻うごめかしている情景が彷彿する
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03-02
上山後谷井の迫(いのさこ)地元の自然石を使ってある
「大昔からあったんで」前の家の井上務さんも これが作られた年代が判らない
ほかの二つを含めて 上山に金毘羅燈籠が作られた意味がはっきりしない おそらく 田んぼ畑の少ない當地のこと 山仕事は冬場が多い 春夏秋の季節は 府中福山の水運に関した仕事が多かったのではと考えられる
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03-03
「今年も金毘羅さんのお陰で 良い秋を迎えました」下上山の人々の感謝の念が 立派な常夜燈を作ったのでしょう
それにしてもこれだけ立派な常夜燈 附近に家影もないとは 人の世の榮枯盛衰を夏蟲が語る
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03-04
府中こどもの国そばのこの地は もと剣先と呼ばれ大川が二分されていた処 川を隔て東に元の府中港があった
府中産業の隆盛に寄与した水車が数基あり 白亜の公会堂もあったが昭和二〇年の洪水で流された
昭和三十六年 県道福山庄原線工事にともない すこし移動し現在地に安置されたことが石碑に謳ってある
いま陸上交通のかなめとなったこの地に 昔日の剣先の面影はない 秋葉さんも 住吉さんも 厳島さんもみな水の神様 同所には前掲の六社の神杜が合祀されている
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03-05
金毘羅橋の上流五百米 出口川が谷間を抜けて府中平野に臨んだ所 「かんなび」は文字が輸入される前の日本語で 賀武奈備と書いたり 神邊とも
出口郷愛会によれば「川上町の杉原繁次郎が田地一畝二十一歩を寄進 出口川の上流の大石を用い…石垣造りの名人二人が一日で土台の石垣を築き…」とある
宝珠を浮彫りした石垣は珍しい
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03-06
この辺りごろごろした大石が沢山流れ下っている
石は建築資材に多用された昔 瀬堀をすれば船の通路になる 同様の石だらけの岡山県旭川は 真庭郡勝山の上流に高瀬舟の航路が明治初年に開かれた
安政のころ 出口川が芦田川に合流する地点がこの辺り 元は川原町と呼ばれた 隣接の府中高校敷地は昔の芦田川河川敷 芦田川は府中平野に至って時代毎に流路を変えた
社殿と金毘羅橋の建立は時代が下がる
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03-07
菅茶山が寛政五癸丑(1793年)夏に詠んだ
羽中の詩
川明知日暮 烟直覚風收
暫得談経暇 聊成践勝遊
雲邊僧磬杳 林際市燈浮
帰路沿田洫 淙淙暗水流
本書の中のどの常夜燈よりも一番古い 金毘羅信仰が盛んになり各地に常夜燈が建ち初めたのは これから十年以後 文化十年台からである
私は菅茶山顕彰会の会員でもあるし 茶山の訪問した地には殊の外親しみを感じる なによりも初めの句と終わりの句は川水と縁がある
府中八幡神杜への坂道沿いにあるが 神杜に属するというよりは 溝川が氾濫しないための祈りだったかも
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03-08
本山工業団地に上がる手前 東小学校の左に庄之池 昭和の始めごろ此処に移されたこの常夜燈はもとは 辻町の才田川沿いの平地味噌店の敷地の東北角にあった(藤木英太郎さん)
道路拡張工事のため移転 平地味噌店は現在の羽衣味噌さん
土手の上に移転の時は 百年でも二百年でも崩れる心配の無い敷地を選ぶことが必要だ
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03-09
その昔の府中の港に立つ日本一の常夜燈 周りの家並みは港町の風情を今に残す
府中から河口の福山まで 明治以前は一本の橋もない 水難加護と物流の繁栄を願っての常夜燈である
笠石の大きさ四・五畳余このくらいの大きさの石造物になるとどうやって建てたのか方法に謎を残す 二百年にもならないというのに
千早ぶる神にみあかし
ささげんとあけくれこがす
我がおもいかな 林新五郎
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03-10
おとなし川のささやき橋とは粋な名前 密語橋は靹のが有名であるが 山南村(沼隈郡)の桑田抱臍が天明七年(1787)に著した 『阿伏兎土産』の中で「吉備後国名所」として 「密語橋は府中にあり奥州にも同名ありと云々」とあり
その当時 靹の密語橋はなかったのか または知られていなかったのか
密語橋は有名だから目標として題名に掲げたが 常夜燈はこの橋から二百米ほど下の恵比須神杜の隣にある
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03-11
高木町の稲荷木神杜は砂川沿いにある 明治時代の芦田川の本流の面影を残す川 金刀比羅の文字は明治以降にできた常夜燈を表す
神杜の鳥居の年代は元治元年
「大昔からありゃんしたで」常夜燈の守りをしている老婦人には百年以上も昔の年代を詮索する気はない
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03-12
土生の谷あいを見下ろす高台にある 川らしい川がない谷なので 田圃にやる水が一番の心配だった
この年 明治四年は明治政府による廃藩置県で三府三百二県ができた 政治の先行きは不透明の極 庶民の祈りは五穀豊饒・天下太平 身近な神様たくさんに守ってもらおう
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03-13
金毘羅も三寶も厳島も水神さん
慶応四年八月といえば 明治改元九月の前の月だ 二年前は風水害で諸国凶作 米価騰貴 まさに風雲急を告げる幕末の頃 立派な常夜燈を寄進した村人の 安寧を請願う気持ちが伝わる
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03-14
この場所は「おおずり」とよばれる
「おおずり」とはどういう意味だろうか
湧き水の出るところをこう呼ぶ例は他にもある大釣井かもしれない
栗柄の谷水が芦田川に合流するところ
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03-15
稲月神杜は急坂のてっぺん 鳥居の前にある常夜燈は神杜に属する様に見えるが 祈願神名は神社とは無関係
『金毘羅』は明治以前の用字
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03-16
芦田川本流は府中の剣先から北流して 中須のこの辺りで支流 (今の本流)に注いでいた
今は堤防が余りにも高くなっているので目立たないが 隣の荒神さんと比べると相当な高さであったことが解る
今から百七・八十年前 ここは芦田川水上交通の要衝であったと見える
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