五十年ほど前まで中国地方の大動脈だった山陽道。すなわち旧国道二号と河手川が交差する東、約百米のところ道端。
台石に沢山の盃状穴が見られます。子供達がその頃は傍を流れていた河原の小石でよもぎを搗いて遊んだしるしです。八幡様とか常夜燈の辺りは官地なので、子供達は誰にも咎められずに遊べた場所です。
たった五十年前まで唯一の幹線道路だったこの旧国道を辿ると、山側から流れてくる天井川と交差するたびに、道路が異常に高くなっているのに気付きます。花崗岩質の土砂の流出によって、川が考えられないほど高くなって来たのです。天保二年(1832)のころ現国道二号も国鉄山陽線もなかった時のこの辺りの地形は、今と大変違ったものだったのです。