坑内の様子→
江戸時代に掘られたものと説明があります
戦国時代 「左図右上青塗り部分」の地表近くが主な採掘箇所で石見銀山としての最盛期はこの鉱床のおかげ
江戸時代に入ると 今までの鉱床で品位が低下したことにより左図左側青塗り部分が開発された。
"銀山"ですが・・・ 19世紀後半には生産の主力が銅に移行し、休山を経て20世紀の半ばには完全閉山となりました。
上写真精錬所跡のアーチ部分内部
2つの穴から精錬された銅が勢い良く・・・ (これは想像です)
16世紀に入って本格的に開発が行なわれましたが、「銀」を取り出すことができず、掘り出した鉱石のまま取引きしていたため、"銀でにぎわう" ところまでは行きません。
金鉱石や銀鉱石から「金」や「銀」を取り出す方法 今回は「銀」のお話なので、銀を取り出す方法について調べました。
その1)鉛に銀を溶かす・・・
鉛を溶かしてその中に銀鉱石を入れると銀が鉛に溶け込んで合金になります。
この鉛と銀の合金を「貴鉛」と呼びます。
その2)貴鉛を灰の上で溶かす
"るつぼ"の中に灰を敷き詰めて「貴鉛」を置き、 温度をあげて溶かします。
酸化鉛は銀よりも表面張力が小さいので 「るつぼ」に敷き詰めた灰に浸み込んで・・・
灰の上に残るのは純度が上がった「銀」。 この方法を繰り返し、さらに純度をあげていきます。